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●ギル・エヴァンスの《時の歩廊》を久々に聴く。原題は《There Comes a Time》。誰が邦訳をしたんだろう。なかなかうまい。ちなみに、原題は、チャーリー・パーカーの《Now is the Time》を意識したのかもしれない。
●ジミヘンの《Little Wing》のカヴァー、いい。ちなみに、ギルは、なんどもこの曲のカヴァーを録音したり、ライブで演っている。どのヴァージョンも捨てがたい。YouTubeには、スティングとの競演ヴァージョンがあった。 #
by mneuter
| 2012-07-11 17:59
| music
●遅ればせながら、セザンヌ展の感想を。今回は、日本で開催されたセザンヌ展としては、これまでのものと比較しても、かなりいい作品が多かったように思う。あれだけの量のセザンヌを一挙に見れるのは、望外の幸せ。もちろん、セザンヌとしてはそれほどできのよくない作品や、コンディションの悪い作品など、玉石混交ではあったが、その「石」の部分も、長い画業の中に位置づけてみると、それなりに面白い。「石」でも、たとえば、本当に、秀作としての迷いの中で描かれたという意味での「石」もあれば、最後の方にあった晩年の大きな庭師ヴァリエの、異様に厚塗りの作品のように、バルザックの《知られざる傑作》を想わせるような、やりすぎてしまって、一種「絵画の廃墟」とでもいうほかないおもむきを湛えた「石」もある。そういった意味で、会場のあちこちの部屋の作品群が、多元的に呼応しているかに見え、面白かった。
●多元的な呼応というのは、セザンヌの一枚の絵の中にもあり、一旦それに取り付かれると、終わりのない「見ること」の持続=現在に巻き込まれるような感覚があるが、絵と絵の間にも、そのような呼応が深く存在しているということをあらためて確認。その昔、パリとフィラデルフィアで大回顧展(1995年から96年にかけて)を見たが、そのとき以来の感覚だった。 ●セザンヌが、あらゆる画家にとって、尽きることのない源泉であることが、今更ながら納得できる。しかし、同時に、その絵画世界のあまりに重層的かつ輻輳的な成り立ちは、何を言っても彼の手の内という感じを覚えさせるという意味で、見ているこちらがある種の不能感を感じるのもたしか。難しい画家だ。 #
by mneuter
| 2012-07-10 22:34
| exhibition
●昨晩、官邸前や関電前など様々なところでデモがあり、かなりの数の人たちが集まったことはツィッターやFBで分かっていたが、自分は仕事の関係でどうしても参加できなかった。で、帰宅後夜の報道番組をTVで見ていたら、どの局も見事にスルー。最初の報道すべきニュースと思うが、オウムの高橋容疑者逮捕のことにほとんどの時間が費やされ、まったく触れもしない。ちょっとあんまりではないか?原発に賛成するか反対するかというような立場を超え、少なくとも万単位の人たちが集まって反対の声をあげていることを報道機関が無視するというのは、報道としての使命を放棄しているとしか思えない。やれやれだ。
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by mneuter
| 2012-06-16 13:02
| news
●久々にキリンジを聴いている。「エイリアンズ」、やっぱり名曲。
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by mneuter
| 2012-06-10 08:28
| music
●先だって、イ・ブルの展覧会を見に行ったことを書き忘れていた。森美術館での展示。
●森美術館という場所には、どうしても足が向かず、行ったあとも、なんとなくその記憶を抑圧してしまうようなところがあるので、つい書きとめるのを忘れてしまった。イ・ブルの作品は、もうかれこれ15年ほど前からいろんなところで見ているので、近年のものだけに関心があっていったのだが、予想以上に森美術館のあのスペースをうまく使っていたので感心した。 ●イ・ブルといいス・ドホといい、韓国出身の作家には、いかにも「現代美術」と呼ぶにふさわしい(もちろん皮肉をこめてそういうのだが)作家が多い。ま、わかりやすいというか戦略的というか。だから、むしろ、完成作よりも消されてしまった逸脱の可能性を探してみるような感じにこちらはなってしまう。その意味で、今回の展示で一番面白かったのは、イ・ブルのスタジオをそのまま再現したようなドローイングや彫刻の習作群が並んでいた部屋だった。 ●全体評価★五つで満点のうち★★★。 #
by mneuter
| 2012-06-05 23:41
| exhibition
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