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●アセロラのCMの踊りがけっこういい。光浦靖子と仲里依紗が赤白の水玉の衣装を着て踊るやつ。
●今朝、モーニング・バード(テレ朝)を見ていたら、着色料の一種、コチニール色素が重篤なアレルギー反応を起こす可能性があることを報道していた。消費者庁が注意喚起をしたのを受けての特集。
●食品や口紅など、さまざまなものに広く使われている着色料らしいが、そもそも、ハムにしてもソーセージにしても、あの人工的なピンクの色にする必要がどこにあるのかと常々思っている身としては、単純に消費者が、ああいう色がついた食品を買わなければ問題は減少するのではないかなどと考えてしまうが、そうはならないのだろうか。 ●これだけ「健康」ということがほとんどパラノイア的に語られる世の中で、ああいう色がついた食品や、表面がテカテカに光った果物などに手を出すということ自体が、ちょっと信じられない。ということは、現在の健康ブームは、健康についてのものではなく、もっぱら、自分の身体の外観――それも十分大切なことではあるが――についてのブームにすぎないということなのだろう。 ●スーパーなどに買い物に行っても、着色料の使われたものは本当に遍在していて、うんざりするが、こういうニュースが小さなきっかけになって、もう、そういうのは拒否しようという気運が消費者側にもりあがってくればいい。
●ホントか~、横須賀美術館の次の展示は、「ラルク・アン・シエル」の結成20周年記念展だとか。だったら、いっそ、ももクロ展とかやってほしい。出るのはため息のみ。
●卓球の石川佳澄はとても魅力的な人だが、彼女を見るたびに、吉田秋生の漫画の凛としたキャラクターたちを思い出す。
●亀岡の事件、危険致死死傷罪が適用されないという。「運転技術の未熟」という項目がその構成要件としてあげられているが、無免許はただちにそれにはあたらないという。たしかに、免許更新などを忘れて、たまたま「無免許」で事故を起こしてしまうというケースもあり、無免許=運転技術の未熟ということには必ずしもならないというのはわかる。しかし、その解釈でいけば、一度も免許を取得したことのない者と、更新忘れのような例が、同等の意味での「無免許」ということになり、それはそれで納得できない。その部分で「戦う」という姿勢が検察にはないのだろうか。
●世の中の一般的な厳罰化の流れに簡単に乗ってはしまいたくないけれど(Yahooのコメント欄とか見ていると、ただ単に自らの憂さ晴らしのために人を罵倒するということが、日常の行為として定着してしまっているような気がして、いやあな気分になること再々で、そういう感情のうねりと厳罰化はどこかでつながっていると思う)、この件に関しては、うーん、納得できない。
●さっきNHKのSONGSにチャンネルを合わせたら、長谷川きよしの回をやっていて釘づけになってしまった。しばらくぶりに見た気がするが、ギターの技術がますます円熟していて、歌との関係がすばらしい。声も衰えをしらず、最後には、あの名曲『Over the Rainbow』をカヴァー。いや、なかなか。
●『芸術新潮』の最新号がとんでもない村上特集。なんか、いやあな感じだなあ。ほとんど新興宗教の世界にはいっている感じ(本人はアイロニーのつもりかもしれないが、アイロニーとして機能してるとはとても思えない)。『美術手帖』の草間特集もそうだが、美術の世界のスター・システムができあがってしまって、みんなで踊っている感じ。声が大きいほうが勝つという単純なロジックを前提にして「戦略」を組み立てる村上のようなやり方は、石原や橋下のポピュラリティと一脈通じるところがあって、生理的に受け付けない。『芸新』のコピーがたしか、「まだ村上が嫌いですか」的なものだったと思うが、「はい、嫌いです」と言うしかない。言っても詮ないほど状況は悪いが。
●岡本太郎にしても、いろんな人が書いているが、結局、作品を見るということではなく、彼の人物像、生き方、書き物をベースにして論じているだけ。たしかに、言論人としての岡本の貢献は、いろんな意味で評価しなければならないが、作品は、どう見ても、50年代で終わっていると思う。草間にしても、60年代の活動までがやはり彼女の作家としての仕事の中心を構成するのではないだろうか。 ●『Art Trace Press』とか、『Art Critique』とか、『組立』とか、ちょっと違った動きも出てきているようなので、そういう、小さな、そして信用できる、そしてフレキシビリティをもった仮構的共同性の方に掛けてみたい。 ●『Art Critique』の2号が秋本将人を紹介しているのはうれしいかぎりだ。
●三島の大岡信ことば館で開催中の宇佐美圭司の展覧会に足を伸ばす。「制動・大洪水」と題されたこの展示、宇佐美のこれまでの「人型」をつかった絵画の集大成的なスケールと意気込みを感じる。
●人型の絵画のシリーズについては、個人的に、ある種のマニエリスムに陥っているなと感じてはいたが、今日の展示を見て、それが、少なくとも、作家本人の倫理的怠慢によるものではないことだけは確認できた。俗っぽい言い方だが、それだけの「気合」を感じる大作群であることは間違いない。 ●彼の絵画を否定することは簡単だろうが、私自身は、簡単にそうしたくないという気持ちが働く。かつての『絵画論』、『形態と記号』、『心象芸術論』、あるいは『デュシャン』などで、思考の底を踏みぬいていくような手ごたえのある言葉で、絵画または芸術についての真摯な論考を発表してきたこの作家の姿勢に対する敬意が私の中にあるからだ。
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